ちょっとよくわからない
夢みたいな話に巻き込まれて困惑しています。
友達にも話せず、母と知り合いの男性には伝えました。でもおさまらないので誰も見ていないであろうこのブログで吐き出しておきます。
デブブス性悪の三拍子揃った成人済オタク女のわたしに地下アイドルの話がきています。
もちろん有名なアイドルとか地上アイドルのようなことになる気は今のところしていませんが、ジャンルとして"アイドル"という、、
えっまってどういうこと?
いやよくわからん。
やっぱ騙されてるんじゃなかろうか。
いやそうだ、そうに違いない。
個人情報を抜かれて、顔写真を晒されて、恥ずかしいポエムのような意気込み(笑)をネタに、、!!!
そうだ、そんなうまい話があるわけない!
冷静になります。
これはきっと騙されてるんだ、アイドルなんて。
わたしの人生にそんな。
風呂はいって寝ましょう。
寝たらきっと夢オチだ!ってなると思います。
一時でも夢見れてよかったです。
ほら、知り合いの男性も「それは騙されてる、いいカモにされてるだけだよ、LINEしてるならブロックした方がいいよ、地下ドルなんてやめな!」って言われたしほら、、
よし落ち着こう。夢見せてくれてありがとう。よし。
社会復帰なるか
ダイエットをするぞ!と意気込んで何日続いただろうか。
幸いにも糖質制限は未だに続けられているし、数キロ落とした体重もキープできている(もちろん、まだまだ目を見張るほどの肥満症ではある)。
しかしこれは異例だ。
自慢ではないが、基本的に立てた目標を達成した試しはない。
60万回照射できる家庭用脱毛器は残り回数のカウントが59万8639回で止まっている。
部屋の片付けをしよう!と思っても20分モチベーションが維持出来れば十分新記録だし、生活リズムを正そうとして早寝早起きを心がけたものの2日目にして就寝時間は午前4:00に逆戻り。
コロナ禍におけるおうち時間。
学生時代に諦めた勉強でもしようかと、当時使っていたテキストを引っ張り出してはみたものの、ついぞそれが開かれることはなく、金欠だというのについつい買ってしまったコスメの下敷きになっている。
ハマったものにはとことんハマるが、私にしては随分と長く3年も推したキャラは、つい最近担降りした(ちょっと未練は残っている)。
ここまでくると飽き性もただの言い訳で、実は何かの病気ではないかとさえ思うのだが、病名があるとすればきっと「飽き症」なのでアホ丸出しもいい所である。
そんなわけで、美人を眺めるのにも3日どころか3分で飽きそうな私は、このブログについても、「気が向いた時に書く日記」としては早々に飽きが来たのだった。
とはいえ、ニートという境遇や身分には全く飽きなかったようだ。
コロナという言い訳が味方したのもあり、学校を卒業した去年の4月からずっと今日まで1年も家に引きこもるのは苦ではなかった。
しかし年度が変わってこの4月、遂に飽きた。
もちろん積極的に働きたいわけでは決してない。
できれば不労所得で一生を過ごしたい。
ただそれは現実的ではなく、また底辺ながら僅かに残っている良心の欠片が、親不孝をするなと毎晩のように叱るのである。
叱りつける良心が煩わしいのもあり、このブログを放置している1ヶ月ほどの間に、10件ほどアルバイトに応募をした。
そしてそのうちのひとつに、なんとか拾い上げてもらったのであった。
仕事が決まった!という嬉しい反面、1年ほど社会から溢れていたためにきちんと社会復帰できるかという不安が押し合い圧し合い。
今更働くのが嫌だのなんだのと言っても遅いので、来るべき初出勤の日に向けて生活リズムを整えることくらいしかできないが。
コロナであまり出勤できないとは言われたが、家賃が払えるくらいの稼ぎになればいいなと思う。
貯金もしたいところだが、今は贅沢を言っていられないようだ。
いずれ掛け持ちをするようになるかもしれない。
あぁ、もう少しニートでいてもよかっただろうか。
働きたくねぇ。
はたして社会復帰となるか。
ほぼ関係ない話です
私には信州人の血が流れている(高速道路の逆走車両より唐突)。
信州と言えば、蕎麦が有名である。
県内には多くの蕎麦屋があり、冬でも基本的には冷たいザルそばを食べている印象だ。
東京のスーパーでも「信州そば」と書かれた商品が置いてあると、なんだか懐かしくなるものだ。
しかし、私は蕎麦が好きではない。
アレルギーなどのどうしても食べられない理由があるわけではなく、ただ好きではない。
今日の夕飯は蕎麦だよ!と言われると、前日のカピカピ保温ご飯を卵かけご飯にして蕎麦を回避した。蕎麦屋に行くと、メニュー表の端っこに申し訳程度に書いてあるうどんを頼んだ。
年越しそばも1人だけ年越しうどんにしてもらっていたので、毎年のように年を越す直前まで祖母に文句を言われたものだ。今更ながら申し訳なかった。
などと、蕎麦にまつわる思い出は深いようでちょっと浅い。というか別に、蕎麦の話をしたいわけではない。
先日、知り合いに連れられて、うどん屋さんに行った。
知り合いが「店の見た目は汚ったないんだけど、味は美味いんだよなぁ🤔」と言う通り、失礼ながら、外観からしておよそ綺麗でオシャレな店舗とは程遠かった。
店内に入ると、物腰柔らかそうな老齢の店主が一人。厨房を囲んでカウンター席が10席程度。日焼けして黄色くなった古いエアコン。色んな人が座ったためか、擦れて黒くなった椅子とクッション。出汁の匂いがまたもやダイエット中の私の胃袋を握りつぶさんとする。
座った席の隣には雑誌が並んでおり、そのどれもが黒ずんでいた。煤や油だろうか?少し埃を被っているので、その点においても「綺麗ではない店」である。
たまたま手に取った雑誌は 昭和こども新聞 みたいな名前だったと思う。セピア色の写真が載っていたり、その当時の子どもたちの間で流行っていたであろう事象について書かれている雑誌であった。15年ほど前の書籍だ。
私はかき揚げうどんを頼んだ。1杯650円と、個人経営の店としては普通か少し安いくらいの価格である。大盛りもプラス100円程度でできるとのことで、知り合いが「大盛りにしないと足りないんじゃないの(笑)」と言ってきたが、ダイエット中なので思いとどまった(今思えばアイツ失礼だな)。
と、ここまでは店の印象としてあまり好感が持てなかった。
だが私はミシュランの審査員でもなければ店の批評をする有名ブロガーでもない。とりあえず美味いもんが食えりゃあいい。下水の横やトイレの中で食事をするような状況でなければ、別にその辺はこだわるつもりは、今のところはない。
鮮やかな小松菜の色が眩しい。
天かすの下に隠れた、小さめのかき揚げ。
提供されたうどんは、本当に手打ちだと言わんばかりの不揃いな麺であった。
うどんにしては太かったり、恐らく生地の端の方であろうものは、もはや すいとん である。言えば平たく太い麺にしてくれる…らしい。
ズズッ、と1本啜ってみる。
うーん、少し硬めで噛みごたえのある平たい麺だ。丸亀製麺やはなまるうどんのような、柔らかく細い麺ではない。ちょっと新鮮な気持ちになった。
薬味の生姜も少量ながらよく効いている。チューブの生姜には敵わない風味が爽やかに広がっていく。
かき揚げは汁を吸って柔らかくなっていた。箸を通すとホロホロッと崩れた。個人的にはサクサクのかき揚げが好きなのだが、美味しい出汁をジュジュッと吸いながら頬張るかき揚げもたまには良い。
天かすがこれまたほどよく美味いのである。歳が歳なので、最近は油ものを食べるとすぐに胃もたれをするようになっているのだが、しつこくなくていくらでも食べられそうだ。
それにしても何だろう、このどこか懐かしい感じは。
チェーン店の安定して美味しいうどんも好きだが、この不揃いで硬めのうどんも良い。
中学時代、夏休みの家庭科で各々一食作ってレシピや感想をレポートにまとめて提出する課題があったのだが、そこで私が作ったうどんと似ているような硬さ…とも少し違うか。
しばらく啜っていると、ふんわりと何かが香ってきた。
その瞬間、懐かしさの正体を察知した。
「ばあちゃんちだ!!!!!!!!!」
そう、祖母の家なのである。
古めかしい感じも、埃の被りかたや油で汚れた感じも、不揃いだけど食べ応えがあって美味しいうどんも、全部祖母宅で染み込んだ感覚なのだ。ふんわり香ってきた何かは、紛れもなくばあちゃん家の匂いだった。
学生時代、部活帰りの背中を夕日に向けて帰宅した夏の終わり、ただいま~!アイスある!?と言いながら飛び込んだ玄関。
もうご飯出来てるんだからアイスは後になさい!と言われ、渋々食卓につこうとしてふと目をやった先の仏壇に、スイカが切ってあった時の期待感。
エアコンの冷風が直に当たる特等席。
あの日のばあちゃん家の匂いだ!!!
しかもこのうどん、ばあちゃんがよく作ってくれたそば粉入りのすいとんに似ていないこともない。1度懐かしさを覚えたうどんに、どんどん愛着が湧いてくる。
ふとエアコンの下に目をやると、「当店のうどんにはそば粉を使用しております」と手書きで書いた紙が貼り付けてあるではないか。なるほど、私の味覚も捨てたもんじゃあない。
祖母宅のような雰囲気の店内で食べる、祖母の味にちょっぴり似ているうどん。
一杯でも十分に満足できる。大盛りにしたらきっと食べきれなかっただろう。
生姜とゴマが沈んだ汁をズズッと飲み干す。
ガァ~ッ!と風呂上がりにビールを飲んだ品のない親父のような一声を出すと、膨れた腹を撫でる。胃袋がボコッと出ているような気がする。ああ、またダイエットやり直しか。
店を出てからも、あの祖母宅のような香りが忘れられなかった。
たまにおばあちゃん家に行くように、半年に1回くらいの頻度で通いたいかもしれない。
うーーーん、店の名前忘れた。
下手くそな料理の達人
最近カレー食べてないな。
そうだ、今日の夕飯はカレーライスにしよう。
カレーが食べたい。免疫力アップにもなるっぽいし、食べて損は無い。
カレーが食べたい。
決まりだ、今夜はカレーライスだ。
2016年産の米をようやく先日消費し、今日初めて実家のばあちゃんからもらった米を炊いた。
炊飯器の蓋を開けた瞬間から、5年前の米には出せるわけがない艶とみずみずしさがこれでもかと言うくらい主張してくる。
炊きあがりの匂いが、断食ダイエット中の私の胃袋を猛追し、握り潰してくる。誘惑なんてレベルではない。
あまりにもそそられる香りに、我慢の限界を迎えた胃袋が悲鳴をあげた。
「低血糖打破ッ!!!!!(低血糖については前回のものを参照)」
思わず米だけで普通の人の三口分を、一口に頬張った。
あまりにも美味である。
お高いブランド米ではない。
年金で細々と暮らす、今年90のばあちゃんが買っているコープ·デリの米。
私の味覚は鈍感で、良い米と安物の米の違いなんぞ知らぬ。
東京に住んで半年。
シェアハウスの台所で、誰も見向きもしなかったホコリだらけの冷暗所に入っていた、5年前の米。
私の2人ほど前の住人が置いていったという、5年前の、米。
"5年前の米 食べれる?" でググり、「食べる時はよく洗って食べましょう。でも基本的には食べない方がいいです。」と書かれてあった記事の通り、無洗米にも関わらず死ぬほど洗って醤油で炊き込んでようやく食べきった、米。
食にも職にも困っていた私にとって、5年前のポソポソして埃臭い米でも、ご馳走だった。
しかし、今食べているご飯は。
これは一体なんなのか。
低学歴故に、この感動を表現できるような語彙も、米がウマイということをより明確に伝えられる文章力も、おまけに味を的確に表現できる味覚も持ち合わせていない。
だが、これだけは確実である。
東京に来てから食したものの中で1番美味い。
もちろん、美味しいものを食べに連れて行ってもらったり、風呂上がりについつい口に運んでしまうアイスも最高なんだ。
でも。
こんな20年足らずの浅い人生の中で、1番うまいと思った。
米食って初めて本気で泣いたんだ。
親元離れて1人で生活するようになって、毎日一緒にご飯食べるような親しい人もいなくなって。
寂しくってハムスターなんか飼おうとして、ハムスター用品を探したり飼い方調べたりして、検索履歴かハムスター関連になっちゃったりした日もある。
ああ、実家にいたらきっと毎日温かいご飯が食べられるんだろうな、と思いながらワサビの小袋を舐めた日もある。
そんなことが頭を過ぎり、遥か彼方へポーンと飛んでいくくらいには衝撃的な美味さだった。
同時に、温かい実家のご飯を思い出し、食の大切さと本来であれは食事にありつける大変さを思い知り、泣いた。
鼻水が垂れそうだ。しかしテーブルにティッシュがない。1週間前に掃除で使い切っていたんだった。ちくしょう。高校時代のジャージの袖でブチ-ンと鼻をかむ。育ちが悪いのがバレる。
ああダメだ、これではいけない。
カレーにしようと思って台所に来たのに、米食って感動してウメェウメェと泣くだけのデブになってしまう。
米があまりにも美味しかったせいで、米と浅くて薄っぺらい人生について尺を使いすぎてしまった。
気を取り直して、カレーを作ろう!
鍋に、ルーに、材料。いつもは目分量だった水も、ちゃんと計りを使って用意しよう。
この米に合うような、美味しいカレーを作ろう。
およそ25分。
カレーの良い香りがキッチン中に立ち込める。
これはテロだ。匂いだけで炊いたご飯全部食べちゃう。デブが急加速してしまう。地元の知り合いのスバル車で首都高走ったときくらいの加速っぷりを見せてしまう。
水気が多すぎたようで、ほぼスープだった。
ご飯じゃなくてうどんをぶっ込んだ方が様になるくらいスープ状だった。
しかしそんなことは関係ない。カレーの味がしているなら今日はそれでいい。重要なのは "カレーライス" が食べられることなのだ。
買ってまだ2週間ほどしか経っていないキャンドゥの白い皿に、ツヤツヤと輝く炊きたてのご飯。
しゃもじで軽く1回、これじゃ足りるわけがなくて軽く2回、欲張ってもう1回。
ふんわりとしたお米の山が、同じくらい真っ白なお皿に盛り上がっていく。
インスタ的な見栄えはお世辞にもあるとは言えない。
しかし本番はここから。
どこまでが米でどこまでが陶器か分からない真っ白なお皿に、カレーをひとすくい。
ジャバジャバのカレーがかかったご飯はカレー色がつき、汚れて効力を失った透明マントを被ったドラえもんたちのように姿を現した。
あ"あ"~~~~~~~~ッ、胃袋が唸っている!!
こんなのもう我慢の限界だ!!
いただきますッ!!!!!
高校時代の友人とよくLINEで通話をするのだが、たまに料理の話に花を咲かせることがある。
作りやすいメニュー、料理の失敗談、家族に作ってもらったけど口に合わなかったもの、工夫したら絶品おかずになったアレンジレシピ。
みんなそれぞれ、食に対する思い出があるだろう。
そんなある時、友人がぽつりと呟いた。
「うちのばあちゃんさぁ、料理ヘッタクソなんだよね。カレーがまずいの。カレーってどうやったらまずく作れるんだろうね?」
カレーがまずい、か。
思い返せば、まずいカレーなんて食べた覚えは、人生で1度だってない。
小麦粉を炒めてスパイスを配合して1から作るとしたらどうなるかは分からないが、市販のルーを使って作っている限りでは、味を損ねるようなことは誰がやってもまずないだろう。
他の友人たちも、カレーをまずく作るってもはや才能では?とまで言い切っていた。
水気が多すぎてシャバシャバしてしまうことは何回かあったし、今日もやってしまったけど、それだけでカレーがまずい!とはならないのでは?
そもそもカレーがまずいってどういうことだ?カレーに対して美味しくないという感想を抱くことがあるのだろうか?好き嫌いやアレルギーは別として、普段カレーを食す中で、そんな明確に「このカレー美味しくない!」となることがあるだろうか?そろそろカレーがゲシュタルト崩壊を起こしそうである。
空腹のままに、感動を覚えたご飯と食欲をそそるスープ状のカレーを口に運んだ。
美味しくない。
あれっ?と慌てて二口目を咀嚼する。
おかしい。カレーの味はするが、おいしいカレーの味ではない。
1皿食べても、実家で食べていたような"一般的で美味しいカレー"の味にはならなかった。
理由はわかっていた。
安物のカツオ顆粒ダシのせいだ。
実家にいた頃はそんなことはなく、カレーにダシを入れるのはよくやっていたし、味が変ということもなかった。こんなに魚臭くなったことはない。分量を間違えたか、湿気っぽくなっていたか。
そして圧倒的に具が少ないことだ。
徒歩5分のところにあるまいばすけっとで買ってきた冷凍のスペイン産豚バラ肉だけってお前。
あとマイブームだからって申し訳程度に生姜チューブを絞り出すな。
カレーをまずく作るってもはや才能だろwwwと返していた私には、カレーをまずく作る才能があったようだ。
今日、私は人生で初めて「泣くほど美味しい米」と「美味しくないカレー」を食べた。
おかげで今、お腹を壊してトイレに篭っている。客観的かつ総合的に見れば、安物の米とクソマズカレーを低血糖状態で食べたというそんなに褒められる食事ではないのだが、とりあえず米は美味かった。カレーも私が作り方を間違えたせいで美味しく頂けなかっただけで、普段はそんなことはない。
気を取り直して、アイスでも食べようか。いやでもお腹を壊している。うごきたくない。動けデブ。食器を片付けろ。そろそろ同居人が帰ってくるだろう。
結局これは何を書きたかったんだろう。美味しいご飯を作ってもらって食べたい。実家帰りてぇ~~~~~~~~!!!!!!!
というヘッタクソ料理の達人でした。オチがないね。
気をつけよう!(戒め)
最近断食ダイエット(16時間固形物を食べないやつ)をしてるんだけど
同時に食べる量減らそうとして極端に糖質オフったせいでさっき低血糖起こしたンゴ、、
やけに息苦しくて動悸が激しくて、お風呂入ってる途中だったから焦ったぽ😅
慌ててお風呂上がってベッドに倒れ込んで症状ググってたら指も震えてきちゃって
遂にコロナ罹ったか?それとも最近寝不足気味で不摂生な生活してたから心臓にめちゃくちゃ負担かかってんのか?いま死んだら孤独死待ったナシ😅💦ガハハ✊!
うーん、これだから低学歴ニートは
まだ心臓がバクバクしてるなって感じ、はやくおさまってくれ、、
でも思わず食べてしまったからまた太ってしまう、、やっぱりハンドクラップダンスだかなんだかも取り入れてバランスよくやらないとダメなんだなぁ😢
それにしてもレーズンうめ~~~~~~~